2018年9月。私たちFRUITBAT LEMONADE(FBL)は小笠原諸島・母島に一本のレモンの苗木を植樹しました。小笠原諸島というのは東京から約1,000キロ先(船で片道24時間!)の太平洋に浮かぶ島々のこと。その中の一つ母島は人口470人の小さな島です。その植樹はFBLにとってとても特別な体験になりました。
ことの発端は今から二年前にさかのぼります。その頃のFBLは世界中から砂糖やレモンを取り寄せて100種類を越えるレモネードの試作中でした。思い出してみてもなぜあんなに熱中していたのか。でもなにかに熱中する時って理由が思い出せませんよね。私たちが小笠原の菊池レモンという品種に出会ったのはその最中でした。
小笠原の菊池レモンという品種は今まで見てきたどのレモンとも違っていました。まず緑色でまんまるで大きい。そして包丁で切ってみると薄い皮とわた。口に入れてみると柔らかな酸味と独特の青い香り。私たちは菊池レモンでレモネードを作ったらどんな味がするだろうと不思議に思って試作を始めました。
まるでワイン造りのようだったと当時のことを思い出します。例えば白からロゼ、ロゼから赤へと果皮の扱いを変えるようにレモンの皮の扱いに変化を持たせました。また試作中にもたびたび小笠原へと足を運びレモン畑の収穫を手伝ったり果樹や土の具合によってどうレモネードの原液(シロップと言います)の風味が変わるのかを観察したり。だんだん分かってきたのはワイン造りにおけるテロワール(ブドウ畑の場所、気候、土壌)がレモネードにとってもとても重要だということでした。私たちは小笠原諸島をまるごと搾り出したような個性的な一滴を作ろうとしていたのです。
小笠原諸島は東洋のガラパゴスといわれる世界自然遺産です。その世界的に見ても豊かな(専門家は狭く偏ったと表現します)自然環境を守っていこうと島民の方々は共生意識を強く持っています。例えば農家の方々はオーガニックな方法で土地にダメージを残さないことがかえって作物にとって良いことだという経験知を持っています。近代における「たくさん作れ」や「甘く作れ」や「丈夫で早く成るものを作れ」ではない方法で育ったものの方が味は美味しいと当たり前のこととして知られているのです。日本中の人々が課題にしている脱近代するための知恵が小笠原にはそもそも根付いていました。
私たちが2020年代を生きるために小笠原から学ぶべきポイントは観察だとFBLは考えています。私たちがシロップを試作しつづけたことは手間がかかり時には香料を使うことを勧められもしましたがしかし香料を使ってしまえば観察することが終わってしまいます。今だからはっきりと分かるのは「試作とは勘違いの連続と引き返す勇気」「振り出しに戻ってもう一度出発するだけの興味」を試されることに価値があるということです。試作を正しく行うためには目の前の出来事をしっかりと観察すること。しっかりとした観察とは目で聞き耳で見て(変な言い方ですが)全身でキャッチすること。そして不思議に思うこと。
FBLは観察の末にいくつかのレモネードを完成させました。そしてやっと知ったのが標題にある「ラムネはレモネード」ということです。調べてみれば1853年にペリー提督が黒船で来航した時に振る舞ったレモネードが日本で最初ということです。そして1865年には長崎県で初めてレモネードが製造販売され英語のレモネードがなまったラムネという呼び名が世間に広まりました。なんだ自分たちはラムネを作っていたのか。そう思うと私たちはなんだか腑に落ちるものがありました。
その時「ラムネかあ」と私たちの心の中に次々と在りし日の面影が過ぎりました。それはお母さんだったりお祖父ちゃんだったり友達だったり。そんな風にしてラムネは150年以上前からレモネードの起源を離れて勝手に一人歩きしていたのです。このはるか遠くの小さな島国で。夏の縁日や駄菓子屋の汗ばんだ子供の手のひらの中で。AND WONDER(そして不思議に思うこと)。
(おわり)
AND WONDER #1 『ラムネはレモネード』
DATE: 12/15/2018